2013年6月26日水曜日

神ノ川林道・犬越路隧道・犬越路林道・東沢林道・白石沢の林道・世附林道

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四時起きで出発すべく前夜バッチリ準備したのに朝寝坊してしまい、七時半前自宅を転がり出てR16を北へ。三十代の半ばまで、一日に四時間以上寝るなんて年に数回ある程度という生活を送っていたのに弛緩してしまい、四十を過ぎてから8時間寝ても、全然疲れが取れません。眠い目をこすりながらしゃにむにペダルを漕ぎます。今日のお供はタイヤが太い緋襷号。4年前の秋、まだ28Cを履いていたぶたで走り、荒れた路面に泣かされた犬越路トンネル越えの林道を、今日は神ノ川から上ります。
早くも行楽の車で込み始めた津久井湖を抜け、二時間ほどで道志みちへ。早速隊列を組んだロードバイクの男女が追い越して行きます。最近輪行ばかりだったので、道志みち→神ノ川林道→犬越路林道→丹沢湖→R246というルートで全走する予定ですので、チンタラ漕いではいられません。出発の遅れを取り戻すべく、むしろ必死にペダルを回しているのですが、先ほどから頻々と、かなりの速度差で4・5台のトレインに追い越され続けています。何かのイベントなのでしょうか?林道に入る前に青野原のセブンイレブンで休憩。駐車場を埋め尽くす高級ロードバイクの群れに圧倒され、しばし言葉を失います。そそくさと買物を済ませ、恥ずかしいので隠すように停めたボロチャリを引きだし漕ぎ再開。平丸トンネル手前の坂下から見上げると、いるわいるわ、カラフルなジャージが万国旗のように連なっています。例によって追い越される一方ですが、ソロで走っている方は必ず挨拶を返してくださるのに対して、車列を組んでいる方たちは・・・(T T)青根から山北藤野線に入ると自転車は一台もおらず、たまにRVに出会うのみ。何か非常に卑屈な気分になりかけていたので、正直なところホッとしました。神ノ川キャンプ場を過ぎると車の行き来も途絶え、川音に耳を傾けながらのサイクリング。青空に描かれる蛭ヶ岳~檜洞丸の稜線を目指して、ペダルを漕ぐ足にも俄然力が入ります。
JR中央線藤野駅近くの甲州街道と、足柄上郡山北町のR246の間を南北に結ぶ山北藤野線は、ご存じの通り相模原市と山北町の境界付近が未開通のままですが、目指す犬越路隧道を挟んだ林道はその迂回路と考えられています。林道神ノ川線の起点標識は、青根小学校前のR413との交差点から3キロ入ったこの場所に立っていますが、多くの地図では取り敢えず一般車が入ることが出来る神ノ川園地までの区間が県道として描かれていることが多く、いま走っているのが県道なのか林道なのか、今一つ判然としません。水音が高くなったのでスピードを緩めると、出合に架かる橋の右に落差15mほどの滝が見えました。エビラ沢の滝・「やまなみ5湖 水のある風景36選」の一つに選ばれているそうです。キャンプ場から来たのか、橋の下には水遊びする数人の子供の姿が。私が子供の頃、毎夏この辺りのキャンプ場に叔父が自慢の車で連れて来てくれたのを思い出します。社会人になってすぐですので今から二十年前、初めての買った車を運転して神ノ川ヒュッテの手前まで往復した時には、途中に以前はなかった大きな堰堤や建設資材の処分場が出来ており、それかあらぬかかつての清流が見る影もない印象を受け、落胆したものでした。そして前回、山北からトンネルを越えてこちら側に降りた際には、悪路でリム打ちを経験し動転していたので川の流れに目を留めることもなく、急ぎ通り過ぎてしまったのですが、今日自分の足を使い遡る神ノ川は、記憶にあるかつての姿を取り戻してくれたようです。緑の淵を眺めながらペダルを漕いでいると、道の左に小さな社が現れました。傍らに立つ案内板から引用します。
    神の川の山の神
    (北丹沢  神の川で初めての山小屋)
    ・ここ、山の神は大正五年頃長者舎に集落でつくられ其の数70戸程までになっていた。
    ・ここの開拓者の集落は炭焼きを中心に神の川分校がつくられていた。
    ・毎年4月17日には山の安全を祈り、山の神を囲んで安全の祈願をしていた
    ・ここの場所には角田忠治の住居があり、神の川流の案内人として多くの登山者を受け入れていた。
開始日時終了日時
2013-05-05 07:25:502013-05-05 17:55:31
経過時間移動時間
10:29:4107:07:48
水平移動距離(km)沿面移動距離(km)
115.82117.05
総平均速度(km/h)移動平均速度(km/h)
11.1516.42
最高速度(km/h)最高標高(m)
47.131031
上り平均勾配(%)獲得標高(上り:m)
4.341019
昇降量合計(m)累積標高(上り:m)
51292593
「山の神」といえば、猟師・木樵・炭焼きなど山に入って生活の糧を得る人々の神様ですが、ここ長者舎は関東大震災によって全壊するまで、炭焼きの人たちが暮らす集落であった場所でした。「長者舎」という地名については、私にもひとつ思い出があります。昭和五十六年夏のキャンプは叔父が忙しくて来られず、仕事を終えた父と二人テントを背負い、橋本の駅から神ノ川に向かいました。三ヶ木発の終バスを青根で降り、心細い気持ちで夜道を歩き出すと、後ろからやって来たジープが私達の横で速度を落としました。キャンプ場まで乗せてくださるとの由。運転手の男性は山奥の山荘まで荷を運ぶ途中と云い、日焼けした逞しい腕で小学生の私を荷台に引き上げてくれました。青根からの道は今に比べて遥かに狭く舗装もなく、あちらこちらで路肩が崩れた道を、幌を留める綱を握る掌が擦れて血が滲むほど揺すられながらキャンプ場へと向かう途中、ミラー越しに見える艶々した髭の下から何度も「長者舎」という言葉が発せられたのを覚えています。翌々日帰りに寄った青根の商店で父が尋ねた所、長者舎山荘の方ではないか?とのことでしたが、中学に上がると夏は部活が忙しくなり、キャンプは結局この年が最後になってしまいました。
日陰沢橋を渡ると林道ゲートが現れ、いよいよ本番。11時半 神ノ川園地に到着。犬越路に向かう東海自然歩道は神ノ川ヒュッテ前を通り右に分かれています。ゲートからしばらくは県道に遜色ない立派な舗装路を東へ。時折木の切れ間から30m~40mほど下を流れる神ノ川が見えて足がすくみます。一般車が通らないにもかかわらず、ニジマスとカワセミのタイル画が施された、立派な化粧坑門を持つ孫右衛門トンネル小洞トンネルを抜けると、林道はやや南に向きを変え、正面に丹沢主稜の臼ヶ岳(1460m)を仰いで進むようになりました。トンネル脇の小さな滝を撮っていると、MTBが三台トンネルの方角から降りて来ました。挨拶をして出発すると、500mほどで舗装が切れダートに。MTBにとり勿論ここからが本当に「オイシイ」区間といえるわけですb(^ ^)谷川のダイナミックな景色は無くなりましたが、瑞々しい若葉が両脇から道を覆うように茂って、さながら緑のトンネルを行くかのようです。新緑の中に蹲るような橋の親柱を見つけて覗くと、「桑の木沢橋」「昭和38年竣工」とあります。東京オリンピックの前年で林業はそろそろ下り坂という頃ですが、一体どこを(何を)目指して道を拓いていたのでしょうか・・・?荒々しい切り通しを抜け再び視界が開けると、陽光を浴びて白く輝く巨大なアーチが目に飛び込んで来ました。前回リム打ちをした桧皮橋です。
  四年前の秋犬越路トンネルから下った際は、この橋の橋台手前の地面が削れていて、直前の路面と橋の路面との間に生じた20cm近い段差に気が付かずモロに突っ込んでしまい、パンクさせてしまった因縁の場所・・・なのです。チューブは替えを持ち歩くので大丈夫だったのですが、リムを歪めてしまったのではないかと帰宅するまでハラハラし通しでした。MAVICのCXP22というリムは、32Hということもあって存外丈夫で、若干フレ取りを要しただけで今も使っています。
橋を渡ると正面の谷底に大きな河原が広がるのが見えます。彦右衛門谷と金山谷の出合・広河原です。神ノ川の上流部は所々このような真っ白い河原が見られますが、これは関東大震災の時に崩れた岩石が堆積したものなのだとか。震源地は北緯35.1度・東経139.5度の相模湾なので直線距離にしてここから40キロ足らず。先ほどの長者舎集落を始め、北丹沢に長く残る爪痕を残した由。広河原から林道は大きく向きを変え、西へ向かって標高を上げて行きます。
四年前の記憶にある通り、広河原から先の1.5キロほどが神ノ川林道で一番路面が荒れた箇所で、九十九折れながら檜洞丸の北の麓を上る道の勾配は8%弱あり、インナー×ローでノロノロ走っていると大きい石に足元をすくわれて転びそうになることが一回や二回ではありません。滴るような緑の中、俯きがちにペダルを漕ぐ足が、突然高くなった水音に止まります。この日見ることが出来た中では最も印­象的な滝。裂けた岩の隙間を、林道から見える範囲では30mほどの落差で三段に­流れ下る様を堪能し、サドルに這い上がりました。
ダートを走るのは大ダル林道以来で、神ノ川園地のゲートから4キロ強なのに早くも息が上がって来ました。所々大き目の落石があってその都度迂回しなければならないことも消耗を早めます。路肩は非常に曖昧というか、県内の他の林道のようにガードレールやブロックで画然と境界が引かれているわけではないのですが、路肩の先は緩やかな斜面に広がる森ですので、足元がすくむような感じはありません。敷石で車両用の路盤になっている以外はトレイルに近い雰囲気で、走っていてとても気分が良いのは確か。勿論歩くと長すぎて退屈だろうとは思いますが・・・
登山道と交差したようで、「熊笹ノ峰  2.0k」の指道標を過ぎて尾根の西に回ると一気に視界が開き、正面に大室山が姿を見せました。GPSの示す標高は850m。先ほどに比べ勾配は大分緩んで、良く締まった走りやすい路面です。左側に巨大な砂防堰堤が現れます。堰堤からあふれ出した夥しい数の倒木の一部が、骸の様に道傍に横たわっています。右の路肩は先ほどと打って変わった崖の上。ハンドルを誤れば間違いなく逝けることでしょう。。。(^ ^;)眺望は抜群で、西に大室山・北に見えるのは道志山塊・前道志の東の方と、陣馬山~高尾山辺りでしょうか?
犬越路トンネル手前の3キロは、北丹沢の雄大な景色を楽しむ道でした。
神ノ川園地のゲートから9.5キロを2時間をかけて這い上がり、13時半に標高約940mにある本日の最高所・犬越路隧道に到着。自宅からここまで68キロを6時間で漕いで、総平均は11km/h強・・・
神ノ川林道の神ノ川園地ゲート~犬越路隧道までの区間は標高差約410mで平均勾配4.3%と計算できます。直前に通った小笄(1,288m)の北側は、道路から数十メートルの高さまで法面補工がされているにもかかわらず、軽トラほどの巨大な落石がいくつも道に転がっており、広河原附近の荒くれぶりも併せて考えれば、県北と県西を最短距離で結ぶ車道であるにも関わらず行政が一般車の通行を禁止している理由が、何となく想像できます。完全にプロ仕様の道だってことですね。トンネルの先に作業道らしい道があるので入ってみます。50mで堰堤の上へ。遥か下の沢まで落石が埋め尽くされていますが、人一人が通れる幅だけ道が残っているので、手前にチャリを置いて歩きます。堰堤から先の部分は、一応道幅が5m位あって微かに轍が残る箇所もありますが、落石と倒木によってあらかた自然に還りつつあるようです。前から年配の男性が歩いて来たのでこの道の先がどうなっているのかお聞きすると、100mほどで東海自然歩道に接続して終わりとの由。ここも実質ハイキングコースの一部のようなので、道々お話ししながらトンネルまで引き返します。六十代前半とお見受けしましたが、用木沢出合から犬越路・大室山まで登り、帰りは林道を歩いて西丹沢自然教室まで下りるつもりであるとのこと。健脚ですね~( ゚д゚)トンネル前でお別れし、チャリ漕ぎ再開。全長800mのトンネル内は相変わらず真っ暗な上に強い風が吹き抜けていて、緊張を強いられます。2分ほど後、再び陽光の下へ。外へ出てみると、不思議なことにほとんど風は感じられないのですが。。。不思議といえば、神奈川のトンネルの中では最高所である一般車が通れない場所に、何故こんな立派なトンネルを掘ったのか、非常に興味があるところですが・・・
「犬越路トンネル」という名前は、武田信玄が北条攻めの際、犬に先導させて越えたという伝説が残る、やや西側の峠からとったものです。多くの地図で主要地方道山北藤野線は、丹沢主稜上の最低地点(1,060m)となるこの峠を越している、東海自然歩道をなぞるように描かれています。現状での利用は、林業振興と堰堤の維持・管理など治山目的が主にものの様ですが、当初の目的がこれだけではなかったのは確実な気がします。先ほどの橋に見られた昭和38年から、トンネルが竣工した昭和45年にかけての時期は、全国にいわゆる「スーパー林道」が作られた時代と一致します。犬越路隧道が竣工する前年には三保ダムの建設が決定され、骨材の砂利の一部は藤野からトンネルを越えて運ばれたとの話も耳にします。県北と県西を最短距離で結ぶ主要路となる可能性を秘めながら、知られざる「未完のドラマ」の存在を感じさせる道・・・ではあります。
山北側の犬越路林道はスムーズな舗装路で、東沢林道分岐まではほぼ二車線。洒落た四阿があったりするのも、一般車が入れない林道には似つかわしくない風景です。右に大杉丸を仰いで、バンバン快走します。2キロほどで東沢林道の分岐に到着。名前の通り、中川川の東沢を檜洞丸山頂東側1キロの標高960m付近まで遡る林道ですが、薄暗い分岐の先は手強い雰囲気。今日はこの林道の終点を見極めることも予定に入れていたのですが、地図で確認できる限り分岐からの距離が3キロ近くあり、全行程乗車できたと仮定しても往復で1時間は余計に掛かる筈ですので、涙を呑んで山を下ります。朝寝坊さえしなければ・・・
ゲートをくぐると、路上に散弾銃の薬莢が・・・回収しなくていいのかしら?14時過ぎにウェルキャンプ西丹沢脇に到着。西丹沢自然教室の東沢を渡る橋から先ほどの分岐までは、犬越路林道ではなく東沢林道らしいのですが、一応トンネルからここまでは4.7キロ・標高差346mなので、トンネル南側の平均勾配は約7.4%と計算できます。
今日はキャンプ場に向かうRVの方が多いですが、ここから北へと向かう道の主役は、普段なら大室山や加入道山に向かう登山者の人たちで、ヤマレコなどを拝見すると、林道終点から吊り橋を渡って登山道に入るとの由。気になって仕方がないので、時間を気にしつつ、行けるところまで行ってみることにします。怖くて渡れないくせに好きというのは、ちょっと病的な気もしますが・・・(^ ^;)
犬越路の登り口である用木沢出合を過ぎると400mほどでゲート。かなり物々しい雰囲気です・・・
    自転車等進入禁止!

    自転車による事故多発のため、平成七年度よりオートバイ・自転車・マウンテンバイクの乗り入れを全面禁止します。
    東京神奈川森林管理者
これとほぼ同じ文面の警告書を、翌月の半ばに明神峠で目にすることになるわけですが、あちらは「東京神奈川森林管理署」となっている点のみ違います。勿論自転車はデポすることにし、ゲートの鉄柱に括り付け先に進むことに。と、「こんな所に自転車停めたら邪魔じゃないの!」と下山途中と思しい女性に注意されてしまいました。確かにゲート右脇の歩行者用スペースを、変速機とかペダルの出っ張りが塞いでいます。当然してしかるべき配慮が足りなかったわけで、平謝りに謝ってゲート手前の標識に停め直しました。ご迷惑おかけして申し訳ありませんでしたm(_ _)m
しばらくは林道歩きです。左を流れるせせらぎは中川川の支流・白石沢。南東に流れる川なので谷底まで陽光が届く、明るい雰囲気の沢。それなのに近付き難いと感じさせるのは、ちょっと青みかがったような神秘的な色合いの水のせいかも。玄倉林道仲ノ沢林道で見たのと同じ、「西丹沢に来たぞ~」って感じの色・・・です。ゲートから400mほどで舗装が切れてダートに。西側の出合には川遊びする子供たちの声がこだましています。杉林に入ると足元はゴツゴツした岩が剥き出しになり、道幅が狭まって轍も消えてしまいました。先ほどから下山されてくる方と挨拶を交わす際、一瞬「?」という表情が相手の顔に見て取れるのですが、なるほど、ヘルメットを被ったまま歩いて来てしまったのでした。行く手の道は踏み跡程度の幅しか無いようですし、既に登山道・・・ということでしょうか?吊り橋を見ることが出来ないのは残念ですが、引き返すことにします。
30分ほど歩いてゲートに戻り、脇の河原で遅い昼食を摂ります。近寄って見ても素晴らしく透明な水ですが、惜しむらくはバーベキューの食べ残しの生ゴミが水際に投げ捨てられていること。この素晴らしい風景の中、いかなる精神的荒廃がこのような行為を許すのか?20mほど下流で下山してきたと思しいカップルがやはりお昼を食べているのですが、先ほどからしきりにこちらを気にしている様子。三角視線を送って来るので慌てておむすびを喉へ押し込み、気息奄々サドルへ這い上がります。清流を眺めつつ、弁当食べるのを楽しみにここまで漕いで来たのですが・・・道路に這い上がってチャリ漕ぎ再開。ピチパンおやぢはどこに行っても邪魔モノ扱い・・・ですなぁ(溜息)
ヘトヘトなので西丹沢自然教室まで降りてもう一度休憩。持参した残りの食べものを片づけて、15:30に丹沢湖に向け出発します。
r76は河内川右岸に沿って下る快走路。箒沢トンネルの先で追い越して行くバスを見ると、満員の車内に先ほど犬越路トンネルでお会いした男性の姿が。もう、降りて来ちゃったんだ( ゚д゚)20分ほどで丹沢湖の北の橋である中川橋に到着~自宅からここまで87キロを
8時間20分で走って総平均は10.4km/hですが何か?
全走を諦め輪行する代わり、丹沢湖の西のはずれまで行ってみることにします。食ヒモノノ恨ミ忘レマイゾ。お馴染みの永歳橋の手前を右に曲がって落合トンネルを潜り、世附へ向かいます。ネズミ取りみたいな橋を渡ると青空を背に、不老山~世附峠~湯船山がくっきりと姿を現します。対岸にも道が走っているようで、湖面に優雅なアーチを描く世附大橋を背にしばらく行くと、橋を望む高台に石碑が立っていました。湖底に沈むふるさとへの望郷の思いを綴った『望郷の碑』三保ダムの完成によって、世附・大仏・神尾田・田ノ入・・・といった集落が姿を消し、223世帯500人余りの人達が故郷を追われたとの由。夕日が映える湖面を通して、今は無い邑々が見えるかのような錯覚を覚えながら、風が葉を揺らす音だけが響く湖畔の道を漕ぎ続けます。ひっそりと立つ「世附」という標識が何かを告げるように、湖面が姿を消して急峻な崖が影を落とす谷底を這う道になりました。夕暮れの気配に背中を押されるようにペダルに力を込めるます。と、突然視界が開け、荒れた広い河原の北側に、へばりついているような山里に辿り着きました。造林小屋とさほど変わらないような大きさの家が三軒ほど、身を寄せ合うように並んでいます。西丹沢・世附山域の入口・浅瀬地区です。世附川流域は平成22年9月の台風9号で大変な被害を受け、ここ浅瀬でも世附川の氾濫・土砂崩れで家屋が流されるなど数世帯の方々が被害に遭われたと聞きます。有名な「浅瀬のゲート」から西側の林道は、以前から自転車も含む一般車両の通行が厳しく禁じられていた場所でしたが、前述の台風によって生じた崩落により著しい危険があるとして、明神峠へ向かう水ノ木幹線林道及び切通峠へ向かう大棚沢林道共に、平成25年6月現在・歩行者も含め全面通行禁止の措置が取られています(参照;神奈川県公園歩道(林道)情報のページ)。世附峠に向かう道も名物の吊り橋が跡形もなく流されてしまった・・・とのこと。ゲート前に自転車を停めて、ゲートの先をほんの少しだけ歩かせてもらいます。何かを惜しむような夕日に照らされた山々を越えて、山中湖まで歩いてみたい、ことに有名な「大棚」を、この目で一度見てみたいと、心の底から思いました。
16:30チャリ漕ぎ再開。先ほど対岸に見えた丹沢湖南岸の道を神尾田に向かいます。世附キャンプセンター脇の橋を渡り左へ。右にもダートの道が延びていますが、300mほど先で行き止まりのはず。橋から700mほど漕いだ場所の路肩が崩れ、舗装に穴が開いています。一見すると大した危険は感じない状況ですが、対岸から見ると分かる通りガードレールの下2m程の場所に長さ4m程の穴が、道路に沿うように口を開けており、穴の周りに残る舗装はポテトチップスみたいな状態になっている筈です。うっかり乗ってしまい崩れたら、ウォータースライダー宜しく丹沢湖に投げ出されるという・・・なるべく山際を這うように通過。と、100mも行かないうち、崖崩れ。恐々湖面を見下ろしながら、あし跡を頼りにこれを越すと、トンネル手前にまたも小石の山・・・但しこちらは水平に積み上がっているので、人や車両の進入を阻止すべく、人為的に造られたもののようです。本来の目的を果たせなくなってしまった無念を語るかのような、寂しげな佇まいのトンネルには、立派な書体で「世附隧道」と刻まれた扁額が掲げられています。トンネル東側は先ほど見た世附大橋の南詰になっていました。
振り向くと、路傍に「全面通行止」の看板が・・・向こうの橋にも出しておかないと意味ないじゃん・・・
浅瀬から20分ほどで三保ダムの堤体の上に立ちました。洪水調整・上水道供給・発電用のダムとのこと。一昨年に神縄から旧道に入り、行き止まりのダム広場から見上げた堤体には芝が施されていたので分からなかったのですが、こうして上流側を見るとロックフィルダムなんですね。神尾田トンネルの北側で県道に復帰し、山北に向けてバンバン下ります。当てにしていた道の駅は工事中にて休業。ゴールデンウィークだよおとっつぁん。r727→r76と繋いで17:00山北駅着。JRの初乗り運賃が惜しい(!)ので新松田までは走るつもりですが、やや時間が早いので以前から気になっていたものを見る為に寄り道することに。
山北駅はいつも北口を通過しますが、今日は南口に向かうため山北橋を右へ。桜で有名な掘割沿いに走ること5分ほどの公園に巨大な蒸気機関車が見えました。「山北町鉄道公園」に静態保存されているD5270号です。D52型は有名なD51よりも大きい直径1846mmのボイラーを備え、10‰の上り勾配で1200トンの貨車を引くことが出来たという国鉄最強の貨物用蒸気機関車です。他方、戦時中軍事輸送力増強の為計画され、あらゆる工業資材が払底する中、学徒動員をはじめとする未熟練労働により285両が急遽製造されたためか、ボイラーの破裂事故が続発し、鉄道員から「爆発する機関車」との悪名を奉られた機関車であることは、いわゆる「テツ」印ではない私でもどこかで読んだ記憶があります。夕日が差す公園からは、そろそろ子供たちが姿を消し始める時間。炭水車脇に掲げられた案内を読んでみます。
    D5270号ごあいさつ
    私は52形蒸気機関車といって、日本で一番大きく力が強かったテンダー機関車です。そしてD52形兄弟の70番目の生れです。私は昭和19年4月に生まれてから山陽線や、東海道線で、働き昭和26年2月国府津機関区に配属になってからは、ほとんど御殿場線で活躍し皆様と一緒にこの山の間を何百回と走りました。私の走った全距離は862,275kmです。私は本来貨物列車ですが、御殿場線のような山線で勾配の大きい線路では旅客列車も引いておりました。御殿場線が昭和43年8月1日全線に電車が走るようになったので私のつとめも終りましたので、この山北町の皆様と国鉄当局のご協力によって、この場所に記念として置いて下さるというので安心しました。これからは皆様と一緒に昔なつかしい思い出ばなしをいたしましょう。どうか皆様、お子様方も可愛がって下さい。
「全線に電車が走るようになったので私のつとめも終りましたので、」とキーボード叩く際、不覚にも目頭が・・・ボイラーを覗くとリベット数個分に渡って亀裂が走っていたり、素人目にももう一度レールを走る状態に直すのは無理っぽいことが分かる状態。とはいえ、現役の頃とは違う補修方法かもしれませんがペンキを塗って貰ったばかりの様で屋根の下にも入れてもらっているし、戦後の復興を支えた大殊勲者は、山中の小さな駅に佇み子供たちの相手をしながら、これはこれで穏やかな日々を送っているのではないかと思ったりもしました。
新松田の駅で自転車をパッキングし、金時帰りと思しい親子連れの話に耳を傾けながら、電車に揺られ帰宅しました。  
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